episode36 震災奇譚 其の二 ~コンビニの怪~

みなさん、こんばんは。
みなさんは怖い話はお好きですか?
このブログでは、私Cozyが体験した恐怖体験、不思議な体験話。
そして私自身があまりのポンコツで在るが故にしでかした数多くのあり得ないほどの失敗談を書いております。

今日のお話は、2011年3月11日に起きた東日本大震災。
震災から数年が経った、宮城県I市のとある県道沿いにあったコンビニについて書いていこうと思います。

太平洋側にある東北方面の仕事で下道を走る時は、以前から走っていた県道。
会社や職種も変えて何年かが過ぎ、トレーラーの仕事に戻り、友達を介して入社した今の会社。
特殊な荷物を扱う運送会社だからか、震災での復旧復興工事などで、津波で被害を受けた陸前高田市や石巻市、その他の地域にも行く機会がとても多かったように感じます。
震災から数年経った頃でも、復旧工事は遅々として進まず、改めて震災の大きさを感じていました。特に陸前高田市などは、被害が大きかったからか橋や建物の残骸がずっと残っていて国道沿いから見える景色はしばらく変わらず、その近くを通る時は、胸が苦しくなっていました。

震災から2~3年が経った頃だったでしょうか、その日も石巻からの帰り道、行きは高速で帰りが下道を走ることになり、いつものようにその県道を走っていると、近くに民家はほとんどなく、信号以外の灯りが消えた暗い県道沿いに、以前通った時にはなかった周囲を明るく照らす真新しいコンビニが目に入ってきました。
『ああ、コンビニが出来たんだなあ。街灯が少ない場所にコンビニができただけでも、人がいるという安心感がでるなあ』なんて当時は思いました。
というのも、そのコンビニができた少し南に進むとわりと大きな橋が掛かっているのですが、津波でたくさんの車や人が流され、その橋の欄干には、しばらくの間、流された車が引っ掛かっていたそうです。
ほとんど人気のない道路は、あまり気味のいいものではありません。なので、人が居てくれる場所ができたというだけで、安心感が広がります。
駐車場が広くないそのコンビニは、トレーラーで入ることが出来ないので、通りすがりに見るだけでしたが、しばらく経った頃、その県道を走っていると何だか違和感があって、『あれ?何だろう?何だか暗いなあ』なんて思いながら走っていると、明るく照らしてくれていたコンビニは電気が消えていました。『コンビニが閉まっていたから暗かったのか』と、少しして違和感の正体に気づきました。


その地域からわりと近いところに家を建て僕の紹介で入社した出稼ぎのOさんという方がいるんですが、そのOさんと話す機会があったので「わりと最近にできたコンビニ潰れちゃったんですかね?」と聞いてみると、Oさんは困った顔をして「あのコンビニ夜出るみたいで、バイトもすぐに辞めちゃうんだってさ」と。
Oさんが奥さんやお子さんから聞いた話では、深夜になると誰もいないのに自動ドアが開いたり、人の姿が見えないのに、音がしたり声が聞こえたりするんだそうです。
人がたくさん亡くなっていて、未だ行方不明の方もいるからなのか、周りに民家や人気のほとんどない場所だからなのか、自分が亡くなったことに気づいていないままいるのでしょうか。

テレビでは流れることのない真実。YouTubeで”震災 あの日を忘れない”という動画がアップされていますが、よかったら一度観てほしいと思います。
自分や自分の家族の最後が、そうであってほしくない。自然の怖さは常にそばにあることを知って、自分の身の守り方を考えてもらえたらと。
自分が死んだことに気付かない…そんな最後は辛いですね。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました…

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