Episode65 36年ぶりの広島観光

皆さん、こんばんは。現役トレーラー運転手のCozyです(^^)

先日、仕事で行った広島でのポンコツEpisodeについて書いてみようと思います。

11日に栃木県で鉄骨を積み込み、翌々日着で広島に行ったんですが、会社から高速で向かう指示があって、早めについてしまいそうでしたので、降ろし先に早めに着いて待機しても大丈夫な場所があるか聞いてみることにしました。
すると、広島港の奥にあるその会社は待機しても良いし、もし早く到着出来るなら、レッカー次第だけど、前日でも降ろしてくれるとのこと(^^)

2年ぶりに訪れる広島。もし観光が出来るなら、およそ36年ぶりの広島観光のチャンス到来!!
そこで降ろし先の電話口に出てくれた方に、実は出来れば観光がしたいと正直に話すと、トレーラーを止める場所はあるから、先に荷物を降ろして、ゆっくり観光してはどうですか?とありがたいお言葉をもらいました。
翌日の9時頃に着いてすぐに荷物を降ろしてもらい、持ってきた私服に着換えていざ広島観光へ!

チンチン電車···今は言わないのかな(^^;)
最寄りの路面電車の駅、電停は広島港。
先ずは小学生の頃に訪れた原爆ドーム、そして平和記念資料館へ行くことにしました。
黒いフェンスの向こうに見える原爆ドーム。
子供の頃に大きく見えた建物は、当時の印象より少し小さく見えました。
今も変わらない痛みの象徴を目に焼き付け、そしてスマホで写真に収めてその場を後にしました。

次に向かったのは、平和記念資料館。
小学生の頃に来たときは、残酷な写真や絵や展示物は子供の僕にはあまりにショックで説明文を丁寧に見ることもできませんでした。春休みで人が多かったということもありますが。

今回は平日の昼間ということもあり、時間をかけて見ることができました。
エスカレーターを上がった正面には原爆投下前の広島市内の風景を写した大きなパネルがありました。
まさか、この景色一帯を吹き飛ばされるような事になるなんて、誰も想像なんて出来ないですよね。
通常の爆弾ではない凄まじいエネルギーを持った大量殺戮兵器。
想像も出来ない衝撃と3000度という熱で頑丈な建物も人も、生活の営みを一瞬で奪った原子爆弾。
人が座っていた場所にレントゲン撮影のように影だけが残った壁や、頑丈な鉄橋も大きく曲がってしまうほどのエネルギー。

破壊された街。熱で焼けただれた人の写真や絵もそうでしたが、展示物の三輪車と子供の写真とその子供の亡骸を穴を掘って埋めた話など、この歳になってから見ても、心をぐっと締め付けられ、涙が込み上げてくる感情を抑えることが出来ず、いつの間にかマスクも濡れていました。

戦後から復興までの歩み、戦争体験者の語るビデオを観終えて外にでました。
テロリストを秘密裏に抹殺した人数が最も多いと言われた元大統領バラク・オバマ氏はどんな想いで、アメリカ大統領初の献花をしたのだろうかなんて考えながら記念碑に手を合わせました。
小学生の頃、同時期に長崎に行った際も、資料館や記念像を見たはずなんですが。広島の平和記念資料館ほどのインパクトが強くはなかったように思います。

無くなることはない戦争。
先人が守った日本は、G〇Qが書き換えた歴史や教育により、間違った知識で他国の言いなり、ハニートラップにかかっているのか、元々が売国奴なのか日本を売り飛ばす政治で衰退の一途を辿り、北海道はロ〇アのものだと言われても遺憾の意しか言えない情けない現状。

アジアの植民地解放の為に戦った日本は中〇の裏切り、反日でしか国を纒めることができない韓〇のような国を助けた結果が今のようなら、何のための犠牲を払わせられたのだろうと、ただ、ただ悔しい気持ちになる。

中〇に侵食され続けられ、いつか日本が乗っ取られてしまうかもしれないけれど、日本人としての誇りを持って生きていきたいと改めて思うことが出来た、勉強を兼ねた観光でした。

このブログを読んでくださっている方の中で、まだ広島へ行ったことがないという方がおられましたら、ぜひ行ってみてほしいと強く思います!

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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